良いガジェットを買えば仕事の生産性が上がる。生活が豊かになる。
そんなセオリーを信じて最新機種を追いかけているのに、なぜか常に「もっと良いものがあるのでは」という焦燥感に駆られていませんか?
その疲れの正体は、終わりのない「スペック至上主義」というノイズです。高価な最新機種があなたを幸せにするとは限りません。
本当に必要なのは、世界との距離を調整し、脳のメモリ消費を減らすための「結界」を自分で作ること。
「メルカリに落ちてくるまで待つ」「身の丈に合ったスペックだけを吟味する」。
時代に逆行するようなこの小さなルールが、いかにして私の時間と思考に「余白」を生み出したのか。そのプロセスを共有します。

「デジタル疲労の正体」については、こちらの記事で詳しく解説しています。

なぜ買っても買っても、満たされないのか
数年前、私はガジェットにかなり重課金をしていた時期があります。
「環境が整えば、もっと集中できる」「最新の性能があれば、もっとアウトプットが出る」そう信じて、新型が出るたびに情報を追い、比較し、買っては手放す。
でも正直に言うと、何も変わりませんでした。道具が変わっても、自分の本質的な部分には何も影響がない。
それどころか、次の新型の情報が解禁されるたびに「また選ばなければ」という義務感のようなものが生まれ、気づけばガジェット選びという終わりのないゲームに巻き込まれていました。

これが「証明ゲーム」の正体だと思っています。誰かが最高だと言うから、最高なものを選ぶ。
他者の基準で「良い選択をした自分」を証明し続けるための消費。その疲れが積み重なることで、良い道具に囲まれていながらなぜか充足感がない、という状態が続いていました。
要するに、他人の正解を自分の正解にしようとしていたんだと思います。
「待つ」という結界を張った日
転機になったのは、「欲しいものをすぐに買うのをやめて、メルカリに落ちてくるまで待つ」というルールを自分に課した日でした。最初はただの節約のつもりでした。
でも実際に試してみると、思っていたのと違う変化が起きました。新型の発売情報が流れてきても、「どうせまだ高い」と冷静に受け流せるようになった。
何ヶ月か経ってメルカリに出はじめる頃には、最初の熱量が落ち着いて「自分は本当にこれが必要なのか」を改めて吟味できている。

これが私の言う「結界」です。
意志力や精神論ではなく、購入のプロセスに時間というフィルターを挟むことで、衝動的な消費をシステムとして防ぐ仕組みです。
欲しいから買う、ではなく「この道具が自分の生活の中で本当に機能するかを、冷静に判断できる状態を作る」というアプローチへのシフトです。

円安の影響もあって、以前より新製品の価格は明らかに高くなっています。自身の経済状況を無視してまで最新を追うことが本当に正しいのか。

この疑問を持ち始めてから、私の消費パターンは大きく変わりました。
選択肢を減らすほど、思考に余白が生まれた
このルールを実践してから、ある変化を実感しています。日々の「選択の回数」が劇的に減ったことです。
新型が出る → 情報を調べる → スペックを比較する → 買うかどうか悩む → 結局決断できず疲弊する。
このサイクルが消えたことで、その都度使っていた「脳のメモリ」が解放された感覚があります。
今は、よほど明確な理由がない限りガジェットのリリース情報を深追いしません。目の前のことに集中できるようになりました。
現在使っているガジェットは、最高スペックとは言い難いものばかりです。

でも、それぞれに「なぜこれを選んだか」という自分なりの理由があって、その吟味のプロセスが日常の小さな充足感になっています。
道具に心が動くのではなく、道具を通して自分の現在地が分かるような感覚です。
選択を減らして生まれた「頭の余白」をどう活用するか。私が実践している「情報を流す思考OS」の設計図はこちら。

「結界スタイル」が向いている人・向いていない人
- 最新ガジェット情報に振り回されるのに、そろそろ疲れてきた人
- 「安く済ませられれば十分」という感覚がどこかにある人
- 選択のプロセス(吟味する行為)を自分なりの楽しみにできる人
- 道具が自分の生活と心地よく馴染むかどうかを重視している人
- 常に最新・最高スペックを持つこと自体に明確な意義と資金力がある人
- 仕事上、ハイスペックな性能が実務として必要な人(クリエイター・エンジニアなど)
- 中古品のリスク(保証なし・予期しないトラブル)を許容できない人
- ロースペックへの選択に「自分で腹落ち」できない人
不完全さを、ネタとして面白がる
もちろん、不便な部分はあります。シングルカメラのiPhoneを選んでいるので、物撮りをするときは一眼レフが必要です。

スマホで手軽に済ませたいシーンでは「もう少し高性能なカメラなら」と思うこともある。中古やメルカリで買う場合は、予期しないトラブルが起きる可能性もゼロではありません。
保証がないことも多く、自分で対処できる余力がない状態でこのスタイルを真似するのは、正直リスクがあります。
ただ私の場合は、「不完全な状況の中で自分がどういう判断を取るか」を眺めること自体が面白くなっています。選択が失敗したとしても、そのプロセスが記事のネタになる。

完璧な道具を揃えることよりも、不完全な環境と付き合いながら最適解を探し続けるプロセスの方が、自己分析として格段に面白いんです。

正直に言うと、「お金があれば最新機種を買うかもしれない」という欲求が消えたわけではありません。
ただ、今の自分の経済状況と優先順位を天秤にかけた上で「このスタイルの方が腹落ちする」という選択をしているだけです。
このブログが届けたいもの
このブログはそういう場所にしたいと思っています。「正解」を提供するのではなく、「このような考え方もある」という判断材料を届けること。
読んでくれた方が、少しだけ自分の選択に納得感を持ちながら前に進めるような。
「スペック至上主義がちょっと疲れてきた」という感覚が少しでもあれば、このブログのスタンスは共鳴するかもしれません。

逆に、常に最新・最強スペックで揃えることに明確な意義と資金力があるなら、私のアプローチは必要ないと思います。それもまた一つの正しい選択です。
正解は存在しません。ただ、自分の判断に少しでも納得できるような選び方ができれば十分です。このブログでは、そのための「判断材料」を送り続けます。
特に進化の速いAIという道具とどう付き合うか。依存せず「工房の道具」として手なずけるための分業設計についてはこちら。

「引き算」でしか見えない景色がある

スペックを追いかけ続けた先に待っていたのは、「結局、何を選んでもそんなに変わらない」という、少し寂しくて、でも安心する結論でした。
身の丈に合った道具たちが生み出す「小さな充足感」。彼らは私の意志を支え、目の前のことに集中させてくれる「拡張脳」となっています。
ガジェットは、足し算だけじゃありません。引き算でしか見えない景色があります。


